というわけで、一日遅れの10月12日に帰国。遅れたにもかかわらずお迎えに来てくれたお二人様、ありがとうございました!
2005/10/26
帰国してから、友人達と会ったり、ふらふらしたり、バイトをしたりして楽しんでいました。順調にリアルワールドへの社会復帰していると思った矢先、この日。バイト中からなんか喉がいてー。そして、、、
10/27(木) 39.5度の熱
10/28(金) 40.0度
翌日の29日には熱が下がった。ここで油断ちった。
11/5(土) 38.0度
11/6(月) データなし。近所の診療所へ。喉の腫れがはんぱない。
11/7(火) 40.0度 さらに喉の腫れがはんぱない。もはや喉ちんこが見えない。
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・一日に2〜3回周期で高熱。
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11/10(木) もう一度診療所へ。初座薬挿入、、、ロスト。
11/11(金) 2〜3回周期で高熱
11/12(土) 03:00am 39.2度
15:00pm 37.0度(悪寒。寒すぎ。ふるえすぎ。)
??:??pm 39.5度
11/13(日) 04:00am 38.9度
17:00pm 38.0度(悪寒。つらすぎ。)
11/14(月) 05:30am 39.4度
20:00pm 38.5度(ちょっと悪寒)
23:00pm 36.6度(余裕)
また診療所へ。総合病院をすすめられる。
11/15(火) 05:30am 37.7度
んで、病院へ。
そんで採血、CTスキャン、レントゲン、ゼリー塗ってウニウニして体の中見るヤツ、即入院。どうやら、扁桃腺が腫れてるのに加え、喉に膿が溜まってるわ、肺の周りにも膿が溜まってるわで、大変なことになってる模様。医者様に言わせてもらえば「とっとと病院来やがれっ」って感じだったと思います。
入院してはじめの方は記憶がうやむやであまり日にち関係が正確じゃないけど、確か初日の夜から胸が急激に痛くなって、横になって寝れなくなった。だから、ベッドをウィーンって起こして寝てた。夜中に必ず悪寒を伴う高熱が出て、胸も痛いモンだから、うまく息ができないわ、メーチャクチャ痛いわで、最強に痛かったときはナースコールに手を出せずうめいて、隣の人に呼んでもらうほど(そうとう必死だったと思う。だれかビデオに撮ってくれてたらスゲー見たい)。看護婦さんに「座薬を入れますけど、どうしますか?」って言われたときは、恥ずかしいって言う思考は一切働かずで、看護婦さんにお願いした(どっちにしろ俺自分で座薬入れられない。スゲームズイ)。あんだけ苦労して入れられなかった座薬をトゥルンって一瞬で入れてきた看護師の皆様、凄すぎです。プロを感じました。
確か、はじめの治療は薬と点滴。そのあとチューブを脇腹からぶっさして、ドレインで吸い出す。これはある程度しか吸い出せず、2日くらいで終了。また、背中からぶっとい注射をさして膿を吸い出す。そんとき出てきた液体が黄緑だったのにはビックリ。
結局、膿達は全部だせない見たい。ドロドロしてるのはチューブじゃ出せないみたいです。で、手術しちゃった方が良いみたいになってたけど、喉に膿が溜まってるから、麻酔の関係で、喉切開したりしなきゃいけないみたいで、呼吸器外科と耳鼻科の医者様達が検討。その間に、点滴による治療(抗生物質)がはじまる。あと、喉に注射さして膿抜いたり。で、手術を検討している間に、点滴効果で良くなり始めちゃったから、手術中止で、点滴治療で行くことになった。この頃には、熱も収まり、胸の痛みもフツーに痛いくらいになったけど、相変わらず横に寝れず、腰がスゲー痛い。
11月末になると、ものスゲー暇。歩けるようになってウロウロしたり、ビデオ見たり。パソコン導入。また、お見舞いに来てくれた皆さんにより、本やDVD達で私のブースがだんだん私の部屋化してったのが面白かった。
12月に入ったら、自分的には退院できるんじゃねーかくらいになってきた。さらにウロウロ。ここ東海大学付属八王子病院は新しい目の病院で、エントランスフロアにコンビニとか本屋とかあって、便利だったけど、散歩できたりする庭とか公園っぽいのがないのがきつかった。屋上庭園ってのがあるけど、ちょっとウッドデッキがはえてて、そこまでしか出れない。謎。しかもオープンしてるのは15:00〜17:00と短すぎっ。初めは、入院してて、俺みたいに歩き回れる人はいないのかな〜って思ったけど、こういうエリアがないっていう不平は何度も聞いた。
色々やることは出来て、ゴムチューブによる筋トレも初めて、階段を点滴棒かついで上ったりしてたけど、なんかモヤモヤした。10cmくらいしか開かない窓から思わず手を出してしまったときは、患者が出れる安らげる空間が必要だなぁーって思った。精神的面での癒す力はすごいだろーなー。
12月のいつだかに、1階のホールで東海大学附属高校吹奏楽部による演奏があった。こういう企画もあるんだーって関心して、行ってみる。凄い。点滴がキレイ〜。こんなに入院患者がうじゃうじゃいるのって初めてで、森、、、とまでは言えないけど、ファファファっと人々の間から点滴棒。そして、それにぶら下がる点滴袋も色んなラベル、ラベルカラー、液体の色、袋の形、チューブの生え方、、、があって、ホントキレイで格好良かった。演奏もよかった。
その後、カメラを持ってなかったことを後悔した。あんなチャンスもうないし、普段の生活だと失礼しぎで写真なんて撮れないし、、、。みんながステージを向いてるありゃチャンスだった、、、。翌日、カメラを持ってきて貰い、自分の点滴を撮ってみたけど、、、やっぱあの点滴棒の群れにはかなわない。
12月中旬になり、まだ退院日は決まらない。車椅子に乗ったりしてみる。結構難しくて、思ったよりこぐのに力がいる。病棟をウロウロしてみる。開き戸はやっぱり面倒くさい。普段は広く感じてたトイレも狭い。どうやって便座に座るんじゃこりゃ。でも、普段低いと感じてた洗面台が丁度いいわ。で、車椅子も飽きて、リファビリルームに行ってみる。エアロバイクとかあって、トキメイた。トキメいた。トキめいた?でも、一番トキメイタノハ「部屋セット」。ちょっと、ステージみたいになってて、畳がひいてあって、タンスとかふすまとかがある。NHKとかでありげなミニ居間ステージ。こういうのも必要なんだな〜。
で、エアロバイクに乗りたかったけど、医師の許可がないとダメらしい、、、。で、早速医者様に許可をもらい、12月13日、リファビリスタート。ちょっと肉体的ストレス解消。12月19日に点滴がはずれ、予定より少し早い12月21日に退院。その日の夜の豚丼が少し名残惜しい、、、。病院食ってウマイ。「常食」は、、、。「軟菜食B」は微妙。でも、全然食える。よく病院食って不味いとか言うけど、この病院に関しては良いです。
ちなみに私の肺の復活具合(右が復活時)↓
ということで、武勇伝ができましたが、とっととデカイ病院行った方が良いです。家で粘りすぎたのがバカでした。そして、退院後の薬(抗生物質)はカワイイでした。
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